サロンエクスプレスそよかぜ 84
・・・ネガの変色が著しく、御見苦しい点、ご容赦!!
1984年GW、多客臨で初めて設定された「サロンエクスプレスそよかぜ」
逗子から軽井沢の運転。 牽引は高崎まで当時のスーパーエリート、東京区のEF65PF
信越線内は篠ノ井区のEF62が充たった。
逗子から軽井沢の運転。 牽引は高崎まで当時のスーパーエリート、東京区のEF65PF
信越線内は篠ノ井区のEF62が充たった。
高崎駅。 当時のエリート中のエリート、東京機関区のEF65PFが高崎までの牽引。
このころ、ブルトレの顔といえばコレで、 スーパースターながら高崎線にはあまり縁のない存在であった。
日頃1100キロのロングラン運用を重ねているPFにとっては、14系7両を高崎まで・・
全く意に介さないお仕事であったろう・・。
信越本線安中付近。 この年の2月の改正で、EF62は半数の26両が( 貨物・客車列車削減の煽りを受け ) 下関に転出、
東海道荷物列車のEF58置換え用の「敵役」として里に降りてた。
信越本線に残った26両は全て篠ノ井配置となり、もっともゆかりのある高崎二区の配置は無くなっていた。
自宅ちかくの高崎線。 上り列車。
別の日、横川へ。 EF62にはヘッドマークもないが、追設アンテナもなく、 「 らしい 」 姿。
「 品サロ 」 もまだキレイ。
EF631号が補機に入っていた。 このあと程なくして14号機と共に一足早い引退をしてしまう。
23号機とのペアであった。
霧の軽井沢・矢ケ崎にて上り列車。
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