441Mで小海線を目指す・・。
1980.8.27 高崎線2326レ~中央線441Mを乗り継ぎ、小海線を目指した。
・・・ヤロー3人の寂しい? 行程。
・・・ヤロー3人の寂しい? 行程。
高崎線2326レ
EF58 90 高二
・マニ 36 2337 北オク
・オユ 10 2572 北オク
・スハフ42 2003 高タカ
・オハ 47 2320 高タカ
・オハ 46 2628 高タカ
・オハ 35 2557 高タカ
・オハ 35 2560 高タカ
・スハフ42 2006 高タカ
・オハフ45 2202 北オク
・オハ 47 2325 北オク
・オハ 47 2272 北オク
・オハ 46 2032 北オク
・オハフ45 2003 北オク (乗車)
EF58 90 高二
・マニ 36 2337 北オク
・オユ 10 2572 北オク
・スハフ42 2003 高タカ
・オハ 47 2320 高タカ
・オハ 46 2628 高タカ
・オハ 35 2557 高タカ
・オハ 35 2560 高タカ
・スハフ42 2006 高タカ
・オハフ45 2202 北オク
・オハ 47 2325 北オク
・オハ 47 2272 北オク
・オハ 46 2032 北オク
・オハフ45 2003 北オク (乗車)
まずは2326列車。 良く乗ったのは最後尾のオハフ45。 たまにスハフ42の時もあったが
この日は通例どおりオハフ45。
これは「近代化改造」されたこの日の2003号の車内。
ベージュ・グレーのペンキ塗り。 白熱灯から丸蛍光灯に交換されている。(急行型仕様?)
オハフ45と言っても2通りあり、2000番代はスハフ42と同スタイル。 2200番代は
車掌室改造車でデッキが両端に寄っていた。
EF58と13連の客車が夜を駆ける。
吹上。 当時高崎線は多くの優等列車が走っており、 何度も道を空けつつの長い行程。
高崎~上野を2時間40分程要した。
先頭はEF5890。 上越型のゴハチ、1両くらい残して欲しかった・・。
こんな札が刺さっていた。 昨日の朝尾久を出て新潟往復の長い運用でナニが・・?
手書き修正サボ。 ・・カッコわる!
秋田から長躯上野を目指す『いなほ』がすり抜ける。
新宿に移り441Mと対面。 ・・となりのクモニは先行する『アルプス15号』。
こちらのクモニ・クモユニはこの後連結される。
~今では皆新宿では見られない車両ばかり・・。
『アルプス』 松本の165系編成には非営業ながらサハシが健在。登山客の荷物置き場となって・・。
当441Mにクモユニ82・クモニ83が連結。 正調編成となり、吊掛サウンドを子守唄に甲斐路へ。
写真に納まるのは同行したT氏。
441M 1980.8.27
↑長野
・クハ 115-376 西ミツ
・モハ 114-345 西ミツ
・クモハ115-311 西ミツ
・サハ 115-319 西ミツ
・サハ 115-318 西ミツ
・クハ 115-374 西ミツ
・モハ 114-344 西ミツ
・クモハ115-310 西ミツ (乗車)
◇クモユニ82005 長モト
クモニ 83816 西ミツ
日野春で長時間の停車。 ホームに出て体操する人も。
対向ホームから編成を見渡す。(ブレご容赦!)
クモユニ82とクモハ115の連結面。 115系はサハ2両をサンドイッチした8連、三鷹配置だった。
狭い115系のシートで寝るのは工夫を要します。(1000番代も不在で、かなり窮屈)
同行したK氏。
夜明とともに小淵沢到着。 ここで小海線乗り換え。・・・
この記事へのコメント